
大変身近なお地蔵さんですが、さまざまな種類があります。
代表的なお地蔵さんをご紹介します
「とげぬき地蔵尊」の名で親しまれるこのお寺、正式には曹洞宗萬頂山高岩寺といいます。
慶長元年(1596年)に江戸湯島に開かれ約60年後下谷屏風坂に移り巣鴨には明治24年(1891年)に移転してきました。
江戸時代、武士の田付又四郎が、夢枕に立ったお地蔵さんのお告げによりお地蔵さん姿を描いた紙を川に流すと、妻の病が回復したことが御影(おみかげ)の始まりであるとされています。
毛利家の女中が針を誤って飲み、御影を飲み込んだ所、針を吐き出すことが出来たという逸話に由来し、そこから他の病気の治癒改善にも利益があるとされ、現在に到るまでその利益を求めて高齢者を中心に多くの参拝者が訪れています。
水子地蔵とは流産などをして、この世に生まれて来ることが出来なかった赤ちゃんや幼くして亡くなった幼児を、お地蔵さまに守って頂こうという願いが込められています。
地蔵は、子供を守る仏とされていたことから水子の観念と結びついたとされています。
銀座出世地蔵:明治のはじめ頃、現在の銀座三原橋辺りを流れていた三十間堀川の工事中に発見されたといわれるお地蔵さん。
地元の鳶の親方が大切に祀っていましたが、戦災の中で再び行方不明に。
その後またひょっこりと見つかったことから、今度こそ行方不明にならないようにと三越屋上に祀られました。
土の中から見つかったお地蔵さまが、百貨店の屋上まで”出世”したことから「銀座出世地蔵」と呼ばれるようになり、多くの人が出世を願ってお参りされています。
東京都台東区の江戸六地蔵のひとつ浄名院には、「あらい地蔵」(洗い地蔵)があります。
身体の不調な箇所を改善したいと念じながら、この地蔵の該当する場所をたわしで洗うことをするための像です。
ひとびとの祈る行為がこのような具体的な行為として表現されるのは、地蔵に限ったことではなく、世界的にもいろいろなところで見られる普遍的な出来事と思われますが、巣鴨のとげぬき地蔵の例で見るように、地蔵の場合には特にこのような営みがなじみやすい歴史があったのでしょう。
江戸に出入りする六つの街道の入口にそれぞれ一体ずつ安置され、「江戸六地蔵」と呼ばれた。旅の安全を見守ってくれた地蔵です。
ちなみに「江戸六地蔵」とは、宝永年間のもと元禄年間のものがあり、現在でいう一般的な六地藏は宝永年間のものを示します。